トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学 交換留学 体験談
体験談1.派遣時:英文学科3年 (2022年度)
体験談2.派遣時:比較文化学科3年 (2022年度)
体験談3.派遣時:国際教育学科3年 (2022年度)
★最新の体験談(2023年度)については近日中に公開予定です。
体験談1
トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学に交換留学(2022年9月~ 派遣)
派遣時:英文学科3年
私は幼少期からヨーロッパ文化に興味があり、高校時代に第二外国語としてフランス語を少し勉強し始めたころから、フランスの景色や食文化、現地の人々との交流をずっと夢見てきました。そのため、いつも旅番組や映画にフランスが出てくるたびに憧れていた私にとって、留学生として派遣が決定した日の晩は、喜びのあまり眠れなかったことを今でも覚えています。とはいえ、いざ出発を前にすると、趣味で学んだ程度のフランス語しか話せない自分の能力を前に、不安と恐怖でいっぱいでした。それもあって、初めて日曜日のマルシェ(朝の市場)に行き、たどたどしいフランス語で何とか買い物ができた時の喜びは、ずっと忘れられません。
大学では、B1レベルの第三学年の授業を受講しました。前もって行われたレベル判定テストでA2だった私は、てっきり他大学出身の日本人生徒たちと同じクラスで勉強ができると安心していました。しかし、オリエンテーションの後、先生から「あなたはB1レベルのクラスで頑張りなさい。」と言われてしまい、自分より断然レベルの高い外国人の生徒たちと一緒に授業を受けることになりました。初めの数か月間は、先生の言っていることが一文字もわからなかったり、周りとの圧倒的な差に日々ショックを受け、夜な夜な泣きながら課題に悩んだりすることも日常茶飯事でしたが、今思えば、B1クラスで学べたことは、今回の留学生活において最高の決断だったと確信を持って言えます。確かに日本人生徒とともに学べることは、助け合いながら安心して勉強ができるというメリットがあったかもしれませんが、今回自分の力で、国際的でバックグラウンドの多様な生徒たちと学べたことは、自分の異文化理解力に自信がついたうえに、自国や他国、そしてフランスの文化の多様性や社会情勢、政治など、様々なことに興味を持つきっかけとなり、とても価値のある経験でした。前期が終わるころには、スピーキングのテストで、日本とフランスの結婚式の比較を約10分間に及びプレゼンテーションを行い、様々な国籍を持った生徒たちに日本の文化に興味を持ってもらったこと、エッセイの授業でクラス内最高得点をとれたことなど、がむしゃらに努力している間に少しずつ達成感や自分の語学力の上達を実感できる瞬間が増えるようになりました。現状に満足せず、より高みを目指して、日々努力してきたこの経験は、限界を自分で決めずに恐れず挑戦することの大切さを学ぶことができ、自分の人生において貴重なものになりました。
日常生活面においては、人生初の一人暮らしでもあったため、毎日の食事や日用品の調達など、苦労することも多々ありました。そんな中で私を支えてくれたのが、同じ寮に住むフランス人の学生たちの存在でした。もともと私の部屋は個別キッチン付きだったのですが、害虫や騒音等の問題があり、数週間しないうちに共同キッチンのある棟へ移動になりました。その共同キッチンで出会ったフランス人の学生たちは、なべや扇風機を貸してくれたり、作り置きできるフランス料理のレシピを教えてくれたりと、どこの誰かもわからない私を、まるで家族のように暖かく迎え入れてくれました。今ではその学生たちは、私にとってかけがえのない大切な友達です。また、ストレスや不安でめいりそうになった時、ふと外に出て、トゥールーズの美しい街並みや空の青さ、全く面識がなくても通りすがりに笑顔で挨拶してくれる人などを見ると、トゥールーズの街の素敵さ、ひとの温かさに気づき、自分がここで勉強できていることはなんて恵まれたことなのだろう、と改めて認識しました。そして、自分の留学を支えてくれている多くの人にもっと感謝して、できる限り有意義な留学にしよう、とまた奮起することができました。
今回の留学を経て得た語学力を、今後もっと伸ばしていくため、まだ始まったばかりのフランス語の勉強に引き続き力を入れていきたいと思っています。また、将来は日本語や日本文化を自分の英語力、フランス語力を生かして世界に発信できるような人材になりたいと思っています。そのために、今後は大学院に入学し、語学の研究をしつつ、日本語教員養成課程を履修する予定です。
体験談2
トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学に交換留学(2022年9月~ 派遣)
派遣時:比較文化学科3年
私がフランス留学を決意したのは大学三年生になってからだった。私は第二言語でフランス語を選択しており、大学一年生の春休みに大学の先生と生徒とともにフランスのパリとノルマンディー地方へ旅行をした。この旅行は、フランスを華やかな国の印象から、さまざまな要因を内包した社会という印象に変えた。私はもっと本当のフランスを知りたいと思った。メディアで紹介されるのもフランスの一部だが、その一方で問題になっている部分、問題にもされない部分があると思い、それを自分の目で確かめたいと望んでいた。
しかし、フランス留学のプログラムについて知ったのはすでに三年生の頃で、それまでは漠然と留学をしたいという思いがあっただけだった。そのため、準備も十分ではなかった。フランス語のレベルも、大学の語学の授業が終わった後も独学で勉強はしていたが、上達の実感が得られず苦悩していた。また、成績に関しても留学を真剣に考えられていなかったため、後に後悔した。留学の準備は、本当にやりすぎるくらいが良いと心から思う。
実際にフランスに留学して、一番最初に困ったことは寮がないことだった。私は手続きを間違えて、寮の申請に必要な書類が間に合わなかったのだ。しかし、友達の繋がりのおかげで現地に住んでいる方に何泊か泊めさせていただいた。その方は日本語も勉強していたため、とても安心したし、本当に感謝している。
授業では、色々な国から来た人と一緒のクラスでフランス語を学んだ。私のクラスは中東と南アメリカから来た人たちが多く、日本人は私を含め3人だった。外国人のクラスメイトたちとは基本的にフランス語で会話をしていた。なかなか伝わらないことも多かったが、ジェスチャーでお互い必死に伝えようとするうちに、仲良くなることができた。一緒にカフェに行って勉強したり、外国人のためのイベントなどに参加したりした。本当に楽しく充実した日々だったが、どうしても日本人で固まってしまう時間が多くなっていた。日本人の友達のうち一人は寮も同じで、一緒に国外旅行をするくらい仲良くなった。不安や悩みも共有できて、興味も似ていたため、一緒にいる時間が長くなった。十二月になると、三ヶ月経った不安と、自分のフランス語能力や理想としていた留学生活との現実のギャップに直面し、私は毎日焦っていた。そして、後期から一つレベルが上のクラスに移動することを決意した。
新しいクラスは、ヨーロッパから来た人が多く、日本人は私だけだった。レベルは主にB1の文法を扱っていた。クラスの子はほとんどが流暢に自分の意見を述べ、先生も前のクラスよりも明らかに速く、難しい表現を使って話していた。私は初日から後悔した。授業ではいつも、劣等生であることを痛感し、悔しかった。でも逃げたくはないと思い、必死に授業に追いつこうとした。授業がない時間は図書館で勉強し、放課後も夜まで残った。クラスでは毎回小さい目標を決めて、何か一つでもできることを増やそうとした。それでも、クラスの子もずっと同じメンバーで進級しているため、仲良くなるのは難しかった。先生のフランス語が聞き取れなくて重要な情報を理解できず、ミスをすることもあった。授業に行くのが本当に苦痛だった。だが、一ヶ月経った頃には、授業が少しずつ分かってきた。クラスの子も私のフォローをたくさんしてくれるようになった。同じグループになった子と話せるようになり、クラスが楽しくなり始めた時、ストライキによる休講が増えた。そして、後期の授業がほとんど無くなった。その分自由な時間は増え、フランス人の友達と関わる時間は増えたが、私が頑張ってきた授業がオンラインや課題のみになったことがなかなか受け入れられなかった。
私の留学は、全体を通して思い通りにならなかった。しかし、その度に自分に何ができるのか、どうしたらいいのか考えるようになった。また、思い通りにいかない原因の一つは、自分の挑戦にもあると思った。挑戦しなければ味わうこともなかった苦悩。だからこそ、それに向き合うことに意味があるのだ。また、人との交流に、年齢や性別、国籍は重要ではないと感じた。それは、色々な人の協力にいつも支えられていたからだ。コロナ禍で、四年生という大事な時期での留学。年金改革のストライキと暴動もあった不安定な時期で、私は十分な結果ではないが、必死に留学を終えたと思っている。
体験談3
トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学に交換留学(2022年9月~ 派遣)
派遣時:国際教育学科3年
~留学を決めたきっかけ~
フランスに留学しようと思ったきっかけは、高校生のころからフランスの文化やフランス語に興味があったことでした。そして、うっすらとですが、機会があればフランス語を本気で勉強してみたいと思っていました。大学生になってからは、第二外国語としてフランス語を勉強しましたが、それ以外特別なことは何もしていませんでした。そんな中、語学留学としてフランスへ留学することができることを知り、思い切って申し込みました。
~現地での授業・生活について~
レベルとグループによって違うので人によりますが、私の場合授業は基本的に週4日でした。授業はすべてフランス語で行われます。先生はゆっくり話してくれていましたが、最初はそれでも理解に苦しみました。ですが、時間が経つにつれ慣れ、最終的には先生の言っていることをほとんど理解することが出来ていました。先生はとても優しいので、心配することはないと思います。クリスマスシーズンにはクリスマスマーケットに授業の一環で行ったりしました。学校のある日は、そのあとに予定がなければ、授業後に買い物をして家に帰っていました。図書館で勉強をしてから帰ったり、現地でできた友達とカードゲームをして遊んだり、ごはんを一緒に食べることも多かったです。
休日は基本出かけていました。友達と遊んだり、フランス国内や外国へ旅行したり、トゥールーズの町の中心を散歩したり、カフェで勉強したりしていました。トゥールーズは都会めで町の建築も美しく、歩いているだけで楽しかったです。川沿いは特にわたしのお気に入りの場所でした。個人的には、フランス国内旅行を楽しむことをお勧めしたいです。バスや電車で簡単にいろいろな場所に行くことができます。場所によって町の雰囲気や建物の建築が変わり、面白かったです。
~住居について~
住居についてですが、私はとても苦労しました。今回の留学の一番の反省点です。住居が確定したのが渡仏する3日前で、それまでずっと家を探し続けていました。家が決まった時はとても安心しました。本当であればフランス語の勉強に使うことが出来た時間を、住居探しに充てることになり後悔したので、これから行く皆さんには住居確保は絶対に成功させることを強く勧めます。大学のApplicationを通常通り進めれば失敗しないと思います。
~アドバイス~
大事なことは、興味があればどこへでも行ってみることだと思います。私は、出発前に何度か対面で行われた留学説明会にあまり参加できなかったので、同じ大学の友達もおらず、友達0人の状態でフランスに行くことになり、とても不安でした。ですが、ある行事に参加し、友達ができ、そこから輪を広げていくことが出来ました。異国の地で疲れてしまうので、休憩もしながら、なるべくイベントや友達の誘いに参加したほうが良いと思います。そうすれば、自然に友達を作ることが出来ると思います。フランス語の勉強にもなりますし、いろいろな点において現地の友達は助けてくれます。実際にテスト前は、一緒に勉強してもらいましたし、体調を崩した時は病院にも連れて行ってもらいました。また、大学に日本語学科があり、日本語を勉強しているフランス人の学生がたくさんいます。私はフランス語を話せない状態で行ったので、日本語学科の学生には本当に多くの面で助けてもらいました。
また、私が一つ後悔したことなのですが、日本語学科の学生もそうでないフランス人も、アニメが好きな方が多かったので、有名なアニメを一通り見てから行くこともおすすめします。アニメを知っていれば話の話題になります。
食に関しては、トゥールーズには値段は少し高いですが、日本食レストランや、日本の食べ物・調味料を購入できる店もあるので、あまり心配する必要はないと思います。お気に入りのお菓子や調味料がある方は、日本から持って行ったほうが良いと思います。私はめんつゆや、たらこ・明太子パスタの素を持っていきました。
コロナウイルスに関しては、誰も気にしていませんでした。街中でマスクをつけている人は誰もいません。コロナによる制限も特にありませんでした。
~最後に~
今回の留学は、私は期間が半年だったこともありとてもあっという間でしたが、とても濃い半年間でした。トゥールーズで出会った友達とはこれからも連絡を取り続けたいと思っていますし、フランス語の勉強のモチベーションも上がり、これからいくつか検定を受験しようと思っています。最初抱いていたフランスのイメージも変わりました。また将来フランスにもう一度絶対に行きたいです。