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デジタル化資料

更新日:2024年5月30日 ページ番号:0000257

 

デジタル化資料 Digitalized valuable book collections

貴重書01本学で所蔵しているデジタル化した資料を公開しています。特に、富士山に関連する資料の公開に力を入れています。

Archives of the classical document in Tsuru University Library. Especially Mt.Fuji related old books collection.

Mt. Fuji is not only the highest mountain in Japan, but also sacred symbol to the Japanese mind. It has exerted a great influence upon Japanese culture. This mountain has been the subject of uncountable stories, poems and pictures.
Mt. Fuji was inscribed as a World Heritage site (Cultural Heritage) at the 13th meeting of the World Heritage Committee in June 2013. 
Tsuru university is located near Mt. Fuji. 

[More infomation on Mt.Fuji (English) ]
Fujisan World Cultural Heritage Council「World Heritage Fujisan; Sacred Place and Source of Artistic Inspiration 」<外部リンク>(閲覧日:2017年7月13日)

古典籍 Classical Document

冨士之往来状 [PDFファイル/39.56MB]
Fuji-no-ouraijo

OPAC書誌データ<外部リンク>

初歩教科書。文例集。「冨士之往来状」は「富士野往来」の写しだと思われる。

「富士野往来」は室町初期に成立。1193年(建久4)に源頼朝が行った富士の巻狩りに材をとって、普通の書簡文以外のさまざまな文書の書式が収められている。

A textbook of how to write sentences that was established in the Muromachi period. It contains example sentences.
The story on the subject of hunting by Minamoto-no-Yoritomo at Fujino.

冨士野徃来[PDFファイル/39.85MB]
Fuji-no-ourai

OPAC書誌データ<外部リンク>

冨士の人穴 [PDFファイル/42.03MB]
Fuji-no-hitoana

OPAC書誌データ<外部リンク>

御伽草子。《仁田四郎》《富士の人穴草子》ともいう。
あらすじは、伊豆国の仁田四郎忠常がりっぱな装束に身をかため人穴に赴き、毒蛇の姿の富士浅間大菩薩に遇う。夜昼3度ずつ六根に苦しみを持つ毒蛇に、頼家から賜った重宝の太刀、刀を献上すると、大菩薩は毒蛇から童子に変化し、仁田を地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道に案内する、というもの。
多くの伝本が残っており、本学の資料もそのうちのひとつ。

The tale of the Caves (Fuji-no-hitoana, Fuji person hole) of Mount Fuji.
The story goes that Nitta-Shirou-Tadatsune (samurai) went into the cave and had a mysterious experience under Mt.Fuji.

冨士の人穴の由来 [PDFファイル/35.65MB]
Fuji-no-hitoana-no-yurai

OPAC書誌データ<外部リンク>

冨士之人穴躰相物語[PDFファイル/60.41MB]

Fuji-no-hitoana-taisou-monogatari

OPAC書誌データ<外部リンク>

冨士山 御つたえ御うた全 [PDFファイル/45.56MB]
Fujisan:Otsutae Onuta zen

OPAC書誌データ<外部リンク>

富士講における経典と和歌が記載されている。「富士講」とは江戸時代に成立した富士信仰のひとつで、角行の系譜を汲むものを言う。
「御伝え」は「浅間様(富士山の神霊として考えられている浅間大神のこと)への拝み方をしるす経典」とされ、おたきあげの際に読み上げられる。「御うた」は御師や信者が参拝や登山の際に詠んだものとされている。

The sutra of Fuji faith. This sutra is recited while otakiage (fire rite) is carried out.

伊勢物語 [PDFファイル/27.46MB]
Ise-monogatari

OPAC書誌データ<外部リンク>

『伊勢物語』は、平安時代初期に成立した歌物語。数行程度の仮名文と歌による125の章段から構成され、在原業平がモデルとされる主人公の元服から死までを描く。
物語の成立当初から古典教養の中心として親しまれ、『源氏物語』など日本の物語文学や和歌に大きな影響を与えたとされる。第九段に富士山を詠んだ「時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ」がある。
公開中のものは慶長13年(1608年)の藤原利房の写本。

Ise monogatari (Tales of ise), famous poetic narrative, produced in the early 10th century. It consists of a series of poems with prose contexts (125 sections).
In the section of "Azuma kudari (Travel to the eastern provinces from Kyoto)", Ariwara-no-Narihira saw Mt. Fuji in the trip.
"Narihira sees Mt. Fuji dusted with snow and is inspired to recite this poem:
Toki shiranu / yama wa fuji none / itsu tote ka / kanoko madara ni/ yuki no fururan
Fuji is a mountain
That knows no seasons.
What time does it take this for
That it should be dappled
With fallen snow? (trans. Helen Craig McCullough)"*
* Takashima, S, "Mt.Fuji in Art" Mt.Fuji - the wellspring of our faith and arts, (2009): pp.98-99.

冨士山百景狂歌集[PDFファイル/25.2MB]

Fujisan-hyakkei-kyoka-shu

OPAC書誌データ<外部リンク>

富士山を題材にした狂歌がおさめられている。

狂歌とは、社会風刺や洒落をきかせた滑稽な短歌のことで、江戸後期に流行した。

契沖法師富士百首[PDFファイル/1.77MB]

Keichu-houshi-Fuji-hyakushu

OPAC書誌データ<外部リンク>

 

富士百首[PDFファイル/1.62MB]

Fuji-hyakushu

OPAC書誌データ<外部リンク>

富士山をテーマとして百首詠んだ歌集は多い。
契沖は江戸前期の古典学者、歌人、僧侶。
一條信郷は江戸後期の山梨県柳沢村の教育者。

百富士Hyaku-fuji

百富士01[PDFファイル/4.45MB]

百富士02[PDFファイル/3.39MB]

百富士03[PDFファイル/3.31MB]

百富士04[PDFファイル/3.9MB]

OPAC書誌データ<外部リンク>

 

河村岷雪は当時の画壇の粉本主義(お手本に則った描き方)を批判し、実際に各地に赴きそこから見える富士を描いたといわれる。

冨士日記[PDFファイル/6.76MB]

Fuji-nikki

OPAC書誌データ<外部リンク>

江戸時代後期の歌人、古典学者である賀茂季鷹による紀行文。

富士山北口全図 [PDFファイル/2.43MB]

富士山北口全図 袋 [PDFファイル/435KB]

Fuji kitaguchi zenzu

OPAC書誌データ<外部リンク>

中村月嶺による緻密な銅板画。富士山の鳥瞰図だけでなく、「富士山及富士嶽神社略縁記」「富士八湖之景」「白糸の滝」「富士の人穴」「胎内巡り」「吉田鎮火祭」「富士山里程略図」「吉田ヨリ各地里程」を掲載している。描かれているのは現在も登山可能な吉田口登山道。

富士山道知留辺 [PDFファイル/29.32MB]

fujisan michisirube

OPAC書誌データ<外部リンク>

江戸後期の富士登山案内。文大図書館では2編のうちの前編を所蔵している。
登山道の詳しい説明以外にも、周辺の名勝や、登山前に御師の家(上吉田村には86軒との記載あり)にて支払う山役銭、山小屋の宿泊・食事料等が記載されている。江戸から富士山までの往復路図の中には、文大近くの「谷村」「十日市場」等の記載も見られる。著者の松園梅彦は江戸末期~明治の歌舞伎作者。

富嶽百景
Hugaku hyakkei

富嶽百景1 [PDFファイル/34.54MB]

富嶽百景2 [PDFファイル/33.27MB]

富嶽百景3 [PDFファイル/31.78MB]

 

OPAC書誌データ<外部リンク>

 

 

江戸時代の浮世絵師である葛飾北斎による富士山を題材とした作品。富嶽三十六景の続編と言われている。

絵本信玄一代記
Ehon shingen ichidaiki

絵本信玄一代記1 [PDFファイル/11.94MB]

絵本信玄一代記2 [PDFファイル/12.08MB]

絵本信玄一代記3 [PDFファイル/12.01MB]

絵本信玄一代記4 [PDFファイル/11.78MB]

絵本信玄一代記5 [PDFファイル/12.15MB]

 

OPAC書誌データ<外部リンク>

甲斐国の戦国大名である武田信玄の幼少期から亡くなるまでの一代記を、江戸時代の浮世絵師、北尾重政が描いたもの。

芳野道の記 [PDFファイル/5.57MB]
Yoshinomitinoki

OPAC書誌データ<外部リンク>

江戸時代初期の僧侶・能書家の松花堂昭乗が、友人である江月宗玩との奈良吉野への花見の旅を記した紀行文(寛永15年(1638年))。各地で江月は頌(詩の一種)、松花堂は和歌を詠んだ。寛政5年(1793)に刊行された版本は、昭乗の書を慕った歌人の橘(加藤)千蔭が版下を書き、千蔭による序文も付されている。この版本は書道「瀧本流」の手本としての意味も持つ。落丁があるため、正しくは第8丁→10丁→11丁→9丁→12丁の順に読む必要がある(本学データでは23ページ→26~29ページ→24~25ページ→30ページの順に読んでください)。
参考文献:山口恭子『松花堂昭乗と瀧本流の展開』京都:思文閣出版、2011年.

It was a travel diaries published in 1793. Shokado Shojo (a monk, painter, and calligrapher) went to Yoshino (Nara Prefecture) with Kogetsu Sogan (a monk, calligrapher, and tea master) in 1637. In this book, Shojo’s Waka and Kogetsu’s poems about various places in Nara were written.

假名文字遣 [PDFファイル/11.83MB]
Kanamojizukai

OPAC書誌データ<外部リンク>

北朝時代の仮名遣い書で、貞治2年(1363)以降の成立。行阿(源知行)著。『定家仮名遣』『行阿仮名遣』ともいう。
行阿の祖父源親行が藤原定家の「拾遺愚草」を清書したとき、定家の承認を得て統一した仮名遣いを、行阿がさらに増補したもの。中世以降、尊重された。

Though the pronunciation is the same, there is sometimes a different letter in Japanese. Eg. "を (o)" and "お (o)" , "へ(e)" and "え (e)."
The book explained how to write syllabic letters (Japanese Kana character, "Kanamoji") and enumerated example words, in the Muromachi priod (1392-1573).
Fujiwara-no-Sadaie (Teika) wrote "Gekan-syu" which described rules on how to write Waka and make a manuscript. And Gyo-a extracted a part from this and edited "Kanamoji-zukai".
It was often used by poets in the later periods.

拾遺和歌集
Shuiwakashu

上 [PDFファイル/12.02MB] 

下 [PDFファイル/14.1MB]

OPAC書誌データ<外部リンク>

平安時代中期に成立した、第三番目の勅撰和歌集。歌数は約1350首。
 公開資料は弘化3年(1846年)藤原守業による写本で、所蔵者であった初代福島県令(知事)清岡公張(きよおか ともはる、1841~1901)の朱書入り。

“The Shūi Wakashū” is the third imperial anthology of waka from the Heian period in Japan.
It was compiled by Emperor Kazan in about 1005. It contains 1,351 poems.
“Shūi” means “Collection of Gleanings”.
“The Shūi Wakashū” is a simple and elegant singing style.
Especially love songs are appreciated.
The person who admitted “The Shui Wakashu” as an imperial anthology for the first time is Fujiwara-no-Teika.

清輔奥義抄
Kiyosuke-ogi-sho

上 一   [PDFファイル/22.31MB] 

      二   [PDFファイル/15.71MB]

中 三  [PDFファイル/17.91MB]

    四  [PDFファイル/13.13MB]

    五  [PDFファイル/24.46MB]

下 六  [PDFファイル/21.77MB]

    七  [PDFファイル/15.09MB]

    八  [PDFファイル/21.57MB]

OPAC書誌データ<外部リンク>

平安時代後期の歌学書。『奥儀抄』とも書く。藤原清輔(きよすけ)著。3巻。
天治1(1124)~天養1(44)年の間に成立。崇徳天皇に献上ののち、数回増補されている。
序で、和歌の効用や沿革などについて概括し、以下、式(上巻)、釈(中、下巻)に分けて解説している。

It was a Waka text book written by Fujiwara no Kiyosuke of the Rokujo family in the late Heian period (1124-1144). This book was offered to the Emperor, and which had a great influence on poets in the middle age.
Volume 1: "Shiki" General theory of Waka study (scheme, form, style…etc.)
Volumes 2 and 3: "Syaku" Annotations of Kago (Waka's unique style of word usage) from “Manyoshu”, "Kokin wakashu" ,"GoShui Wakashu", and more.
The end of a volume 3: "Mondo" Commentary on difficult Kago in the form of questions and answers.

和歌古語深秘抄
Waka-Kogo-Shinpi-Sho

1[PDFファイル/39.11MB]
2[PDFファイル/35.48MB]
3[PDFファイル/43.8MB]
4[PDFファイル/36.65MB]
5[PDFファイル/57.54MB]
6[PDFファイル/51.07MB]
7[PDFファイル/38.63MB]
8[PDFファイル/62.1MB]
9[PDFファイル/45.2MB]
10[PDFファイル/62.9MB]

OPAC書誌データ<外部リンク>

近世初期の地下歌人・河瀬菅雄(かわせすがお、1647~1725)もしくは恵藤一雄が序文を付し、編纂したと思われる歌学書の集成。

  1. 惣目録、秘藏抄(上)/躬恒撰(躬恒述作)

  2. 秘藏抄(中)(下)/躬恒撰(躬恒述作)

  3. 新撰髓脳/公任卿撰、莫傳抄/俊頼述作、和歌肝要/俊成作

  4. 後鳥羽院御口傳、和哥式/定家作

  5. 正風躰抄/定家作、和歌庭訓/定家作

  6. 和謌口傳/家隆作、近来風躰抄/二条良基公

  7. 瑩玉集/鴨長明作、簸河上/弁入道述作

  8. 八雲口傳/為家作、よるのつる/阿仏尼作

  9. 耕雲口傳、桂明抄/尭孝法印作

  10. 八雲一言記、和謌二言集、和謌用意条々

女房三十六人歌合画帖 [PDFファイル/38.49MB]

Nyobo sanjurokunin utaawase gajou

OPAC書誌データ<外部リンク>

女流歌人36人を左右に配した歌合で、鎌倉時代成立した。
源宣慶による江戸前期写本。

小野小町(左)-式子内親王(右)、伊勢-宮内卿、中務-周防内侍、斎宮女御-俊成卿女、右近-待賢門院堀河、右大将道綱母-宜秋門院丹後、馬内侍-嘉陽門院越前、赤染衛門-二条院讃岐、和泉式部-小侍従、三条院女蔵人左近-後鳥羽院下野、紫式部-弁内侍、[小式部内侍]-[少将内侍]、伊勢大輔 -殷富門院大輔、清少納言-土御門院小宰相、大弐三位-八条院高倉、高内侍-後嵯峨院中納言典侍、一宮紀伊-式乾門院御匣、相模-藻璧門院少将

役行者講私記 [PDFファイル/31.76MB]

Ennogyoja kou shiki

OPAC書誌データ<外部リンク>

修験道の開祖と言われる役行者(役小角、役優婆塞)に関する書で、修験道の経典とされた。實慶による江戸中期写本。

名所方角抄
Meisho hougakusyou

※本来上中下で一冊ですが、データ容量の関係で便宜上2ファイルに分けて掲載しています。

名所方角抄 上中 [PDFファイル/41.69MB]

名所方角抄 下 [PDFファイル/26.53MB]

 

OPAC書誌データ<外部リンク>

 

日本各所の名所の歌枕について距離や方角など解説している。室町時代の連歌師、宗祇編。

巻物 Classical Scrolls

福富絵巻
Fukutomi-emaki

上 [PDFファイル/15.1MB] 

下 [PDFファイル/12.37MB]

OPAC書誌データ<外部リンク>

『福富草子』は、南北朝時代に成立したとされる御伽草子で、貧乏な男が神頼みで授かった放屁の芸で長者になり、隣家の男がそれをまねようとして失敗するという話。絵巻物としては、重要文化財の春浦院本、及びクリーブランド美術館本が有名であり、これらを元にした写本・異本も数多く存在する。
公開中のものは春浦院本を元として江戸後期に描かれたもの。

“The Tale of Fukutomi” is a humorous fairytale written in the Muromachi priod (1392-1573). There are many manuscripts and different versions.
The story of a man who became a rich with flatulent arts and a neighbor imitated the man and failed.
The story is represented with many pictures and dialogues.

蕉風詠草集 3巻

syoufu eisoushu (hana, tsuki, yuki)

花の巻(全体) [PDFファイル/1.12MB]

花の巻(拡大用) [PDFファイル/14.8MB]

月の巻(全体) [PDFファイル/1014KB]

月の巻(拡大用) [PDFファイル/16.96MB]

雪の巻(全体) [PDFファイル/1.09MB]

雪の巻(拡大用) [PDFファイル/17.02MB]

桐箱 [PDFファイル/2.41MB]

OPAC書誌データ<外部リンク>

河野可転、北野道等ら江戸後期の甲州俳人による詠草集。

浮世絵 Ukiyo-e Prints

名所絵 Meisho-e(Landscape)

大日本冨士山絶頂之圖[その他のファイル/3.56MB]
Dainihon Fujisan Zeccho no Zu(The Summit Crater of Mount Fuji in Great Japan)

大日本冨士山絶頂之圖

落款:五雲亭貞秀筆(歌川貞秀)Signed: Gountei Sadahide hitsu, Artist: Utagawa Sadahide
版元:大黒屋 金之助/金次郎 Publisher: Daikokuya Kinnosuke/Kinjiro
改印:巳壬五(安政4[1857]年閏5月)、改 Censors’seals: Intercalary May 1857

江戸時代の富士山頂の様子を精密に描いた図。白装束の富士講信者の姿がみられ、江戸の人々の間に広まった富士山信仰と、それにともなってブームとなった富士登山の様子がわかる。富士講は江戸時代中頃から成立した民間信仰のひとつで、富士信仰の開祖・角行の教えを広く一般民衆に解いた。
歌川貞秀は初代歌川国貞の門人。横浜絵の第一人者といわれ、精密で鳥瞰式の一覧図や合巻挿絵でも知られた。

A highly detailed picture of the crater on the top of Mt. Fuji in the Edo period.
Pilgrims wore white kimonos by the teaching of the Fuji-ko faith.
The Fuji-ko faith or Mt. Fuji Worship which is a folk religion for the common people in Edo now Tokyo, was originated in the 17th century with Hasegawa Kakugyo, its founder and was spread explosively in the 18th century.
Utagawa Sadahide is a pupil of Utagawa Kunisada the first and is said to be the foremost artist of the Yokohama-e (pictures of foreigners in Yokohama). He is also famous for detailed bird's-eye view pictures and illustrations.

名所絵 Meisho-e(Landscape)

冨士山體内巡之圖[その他のファイル/3.95MB]/體内岩屋之圖
Fujisan Tainaimeguri no zu /Tainai Iwaya no Zu 
(Cave Tour in Mt. Fuji)

冨士山體内巡之圖

落款:五雲亭貞秀画(歌川貞秀)Signed: Gountei Sadahide  ga, Artist: Utagawa Sadahide
版元:大黒屋 金之助/金次郎 Publisher: Daikokuya Kinnosuke/Kinjiro
改印:午三(安政5[1858]年3月)Censors’seals: March 1858

船津胎内樹型の中をめぐる「胎内巡り」をしている様子。白装束の人々は富士講信者の姿と思われる。富士講信者は登拝の前日に「御胎内」を訪れ、洞内を巡って身を清め、その後、御師住宅に戻って、翌日に登拝に向かう。「入口よりもひろし」など中の様子が細かく説明されている。また、「わらじをひざにつけ」など胎内巡りの手順や作法などが分かるようにもなっている。

It is said that Pilgrims entered the cave resembling inside a human body to be purified and experienced a reincarnation before climbing up Mt. Fuji for the Fuji faith. There are many sentences in the picture. For example,"This space is larger than the entrance" [explanation the place] ,  "Attach a straw sandals to both knees (Because the cave is very narrow, Pilgrims were crawling)" [A way/manners of going in to the cave].

武者絵 Musha-e(Samurai)

頼朝公八幡参詣之圖[その他のファイル/3.9MB]
Yoritomo-ko Hachiman sankei no zu
 (Lord Yoritomo Visits the Hachiman Shrine)

頼朝公八幡参詣之圖

 

落款:一松斎芳宗画(歌川芳宗1)Signed: Isshosai Yoshimune ga, Artist: Utagawa Yoshimune
版元:不明(版元印はひとやねに清)Publisher: Unknown
改印:亥四改(文久3[1863]年4月)Censors’seals: April 1863

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、鶴岡八幡宮を崇敬し、歳首には将軍自ら兵を率いて参詣した。
鶴岡八幡宮は、源氏の氏神であり、その後、北條、足利、豊臣、徳川からも尊崇された。八幡信仰は、武家からさらに日本全国へと広がっていった。
歌川芳宗(初代)は歌川国芳の門人。彩色にすぐれ、氏の多数の作品の色差しをした。

Minamoto-no-Yoritomo, founder of the Kamakura shogunate (1192-1333), admired the Tsurugaoka Hachimangu Shrine. In the beginning of each year, he visited the Shrine with soldiers.
Adopted as the tutelary shrine of the Minamoto family, the Tsurugaoka Shrine was warmly supported by a succession of warrior families, including the Hōjō, Ashikaga, Toyotomi, and Tokugawa. The popularity of the Hachiman cult has grown steadily in Japan.
Utagawa Yoshimune the first is a Utagawa Kuniyoshi’s pupil. He is superior in coloring and often indicating the color separations of his master’s work.

名所絵 Meisho-e(Landscape)

冨士三十六景 甲斐御坂越[その他のファイル/1.04MB]
Fuji-sanjurokkei Kai-misaka-goe
(Thirty-six Views of Mt.Fuji: Misaka Pass in Kai Province)

冨士三十六景 甲斐御坂越

 

落款:廣重画(歌川広重)Signed:Hiroshige ga, Artist: Utagawa Hiroshige
版元:蔦屋吉蔵 Publisher:Tsutaya Kichizo
改印:午四(安政5[1858]年4月)Censors’seals:April 1858

日本各地からの富士山を望む景色。東海道五十三次で有名な歌川広重の最後の作品であり、彼の没後刊行された。
御坂峠は、甲斐と駿河を結ぶ古い街道(鎌倉往還)の一部。峠からは富士山と河口湖を眺望できる。
山梨県からの景色としては、他に「甲斐大月の原」、「甲斐犬目峠」がある。

The scenery of Mount Fuji from various places Japan.
It was the last work of Utagawa Hiroshige and was published after his death.
Misaka Pass is a part of the old path (Kamakura street) which links Kai (Yamanashi Prefecture) to Suruga (Shizuoka Prefecture). A great view point of Mount Fuji and Lake Kawaguchi.
Other views from Yamanashi are "Kai Otsuki no hara" and "Kai Inume toge".

武者絵 Musha-e(Samurai)

甲越川中嶋大合戦之図[その他のファイル/3.99MB]
Ko-etsu Kawanakajima Okassenn no zu
(Battles of Kawanakajima, Kai vs Echigo)

甲越川中嶋合戦之図

落款:一魁斎芳年筆(月岡芳年)Signed: Ikkaisai Yoshitoshi hitsu, Artist: Tsukioka Yoshitoshi
版元:木屋宗次郎 Publisher: Kiya Sojiro
改印:寅四改(慶応1[1866]年4月)Censors’ seals: April 1866
彫師:彫栄1(渡辺栄蔵)Blockcutter’s mark: Horiei

月岡芳年は残酷絵で有名だが、他にも多様な画風をこなした。
川中島の合戦は、戦国時代に甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信とが、信濃国の川中島で長期にわたって対戦した(天文22年(1553)-永禄7年(1564))。永禄4年(1561)の戦いが特に有名であり、信玄の弟信繁や武田軍師山本勘介などが戦死した。浄瑠璃・歌舞伎・講談などに脚色されている。

Tsukioka Yoshitoshi is famous for cruel pictures, but he also handled various styles of painting.
Battles of Kawanakajima is a series of fought between Uesugi Kenshin of Echigo (now part of Niigata prefecture) and Takeda Shingen of Kai (Yamanashi Prefecture), in the same general locale (between the rivers Chikumagawa and Saikawa).
The fourth battle(1561) was famous. Takeda Nobushige (a younger brother of Takeda Shingen) and Yamamoto Kansuke (a strategist of Takeda) died in the battle.
It was dramatized by Joruri (puppet theater), Kabuki, and professional storytelling (of traditional Japanese tales).

名所絵 Meisho-e(Landscape)

日本名勝図会 猿橋[その他のファイル/1.12MB]
Nihon meisho-zue Saruhashi (Monkey Bridge, from the Series Famous Scenic Places in Japan)

日本名勝図会 猿橋

落款:清親(小林清親)  Signed: Kiyochika, Artist: Kobayashi Kiyochika
印刷兼発行者:松木平吉 Publisher: Matsuki Heikichi
発行:明治二十九年 Censors' seals: 1896

「甲斐國大原村の桂川の中央に架す日本三奇橋の一にして層々相畳みて両端突出し平坦の橋板を上部に敷く立つつ渓流を望めば魂自から躍る」
成立時期不明。猿たちが繋がりあって渓谷を渡る様子を元に作られたと言われている。
清親は、浮世絵の技法に西洋画の明暗や遠近法の表現を取り入れた風景版画を「光線画」と称して発表し、風刺漫画家としても活躍した。

Saruhashi (monky bridge), one of the three strange bridges of Japan, is an old timber bridge across a narrow gorge of Katsura-gawa in Otsuki, Yamanashi Prefecture.
It is said that the architect of the bridge got an idea from monkeys across the ravine.
Kobayashi Kiyochika is one of the first traditional artists to formally study the Western painting. He adopted the expression of the light and shade and the perspective of the Western painting to the technique of Ukiyoe. He is also famous for caricatures.

役者絵 Yakusha-e(Kabuki actors)

擬繪當合 癸 武田勝頼 八重垣姫[その他のファイル/1.34MB]

Nazorae eto-awase Mizunoto, Yaegakihime,Takeda Katsuyori
(Mizunoto, Yaegaki-hime and Katsuyori Takeda, from the Series Playful Comparisons of Pictures)

擬繪當合 癸 武田勝頼 八重垣姫

落款:豊國画(歌川豊国3[歌川国貞1])Signed: Toyokuni ga, Artist: Utagawa Toyokuni III (Utagawa Kunisada I)
版元:恵比須屋庄七 Publisher: Ebisuya shoshichi
名主印:村松源六、福島和十郎 Censors’seals: Muramatsu Genroku, Fukushima Wajuro, October1852
改印:子十(嘉永5[1852]年10月)

擬繪當合は十干十二支に関連づけて描かれている。
八重垣姫は、浄瑠璃『本朝廿四孝』に登場する。八重垣姫は上杉謙信の息女で、許嫁である武田勝頼の命を助けたい一心から氷の張る諏訪湖を渡る。歌舞伎の時代物の姫役のうち至難とされる三役の一つ。
配役: 八重垣姫:岩井粂三郎3、武田勝頼:河原崎権十郎1

This series about 22 Kabuki scenes associated with the Sexagenary Cycle and it was applied a suitable actor.
Mizunoto, the 10th of the Celestial Stem, is related to water.
The story from Joruri "Honcho nijushi ko". Yaegaki-hime (princess) was a daughter of Uesugi Kenshin and her fiance was Takeda Katsuyori. She crossed the frozen Suwa Lake (Nagano Prefecture) to save Katsuyori's life with help of a white fox as a messenger (servant) of "Suwa Myojin".
In Kabuki, "Yaegaki hime", “Yuki hime” and “Toki hime” are called "San hime (the three princesses)" which are difficult to play.
Cast:
Iwai Kumezaburo III as Yaegaki-hime
Kawarasaki gonjuro I as Takeda Katsuyori

役者絵 Yakusha-e(Kabuki actors)

東海道四谷怪談 [PDFファイル/5.12MB]
Tokaido Yotsuya Kaidan(Ghost Story of Yotsuya in Tokaido)

役者絵

落款:五渡亭国貞画(歌川国貞1[歌川豊国3])Signed: Gototei Kunisada ga, Artist: Utagawa Kunisada I (Utagawa Toyokuni III)
版元:上州屋金蔵 Publisher: Joshuya Kinzo
改印:極、[1831]Censors’seals: Kiwame, 1831

東海道四谷怪談は、人気の高い演目。
『仮名手本忠臣蔵』の二番目狂言として上演されたので、「忠臣蔵」の世界で描かれている。
初代国貞(三代目豊国)は初代歌川豊国の門人として、役者絵と美人画で活躍した。
配役:神谷仁右衛門:関三十郎2、伊藤の後家お弓:小佐川常世4、直助権兵衛:片岡市蔵1

It is the most famous ghost play of Kabuki.
There are numerous gimmicks to express grudges of Oiwa (heroine) which frightened the audience.
Because it was staged as the Nibanme-Kyogen (second program) of Chushingura, it is written in the world of Chushingura.
Utagawa Kunisada the first (Utagawa Toyokuni III) is a pupil of Utagawa Toyokuni the first and worked in the Yakusha-e and Bijinga (Ukiyo-e of beautiful women) genres.

Cast:
Seki Sanjuro II as Kamiya Iemon
Osagawa Tsuneyo IV as Ito Oyumi, Widow of Ito Kihei
Kataoka Ichizo I as Naosuke Gonbei

役者絵 Yakusha-e(Kabuki actors)

天下一忠臣照鏡 [PDFファイル/4.16MB]

Tenkaichi Chushin kagami (Chushingura)

役者絵

落款:豊原國周 Signed: Toyohara Kunichika
出版人:福田熊次郎 Publisher: Fukuda Kumajiro
画工:荒川八十八(豊原國周)Artist: Toyohara Kunichika
彫師:彫勇(和田勇次郎)Blockcutter's mark: Horiyu (Wada Yujiro)
御届:明治17年(1884)Censors’seals: -, 1884

忠臣蔵は、赤穂浪士の討ち入りをモチーフにした非常に人気が高い演目。
豊原國周は、豊原周信、初代歌川国貞(三世歌川豊国)にまなぶ。歌舞伎役者の似顔絵を得意とした(大首絵)。離別した妻は40人以上、転居は83回に及んだというエキセントリックなエピソードがある。

役者は当時人気の俳優で「団・菊・左」と呼ばれた。
配役:竹林唯七 市川左團次1、小林平八郎 市川團十郎9、赤垣源蔵 尾上菊五郎5

Chushingura is a famous program of Kabuki and Joruri (puppet theater). It is based on the Forty-Seven Ronin (masterless sumurai) Incident of 1701−03. They achieved the revenge of their lord.
Toyohara Kunichika is famous for Yakusha-e (a picture of Kabuki actors), especially Okubie (half-length portraits). He is known for eccentric behavior, for example, moved house 83 times, and broke up with wives over 40 times.

Cast:
Ichikawa Sadanji I as Takebayashi Tadashichi
Ichikawa Danjuro IX as Kobayashi Heihachiro
Ogami Kikugoro V as Akagaki Genzo
They were called great actor "Dan-Kiku-Sa".

武者絵 Musha-e(Samurai)

英雄大倭十二士 山本勘助入道道鬼 [その他のファイル/1.3MB]
Eiyu yamato juni-shi Yamamoto Kansuke Nyudo Doki
(Yamamoto Kansuke Nyudo Doki, from the series Japanese Heroes for the Twelve Signs of the Zodiac)

英雄大倭十二士 山本勘助入道道鬼

落款:一勇斎国芳画(歌川国芳)Signed: Ichiyusai Kuniyoshi ga, Artist: Utagawa Kuniyoshi
版元:三田屋喜八 Publisher: Mitaya Kihachi
改印:寅壬七(安政1[1854]年7月)Censors’ seals: July1854

日本の説話等に登場する有名な12人の英雄を題材にしたもの。十二支と関連づけている。山本勘助は甲州武田信玄の軍師として活躍し、川中島の戦いで戦死したといわれている。
「古郷の地名 丑」とあるが、出身地である三河の牛久保(現:愛知県豊川市)にちなんだものか。

歌川国芳は歌川豊國の弟子であり、特に武者絵(水滸伝シリーズ)や風刺画が有名である。

This series about twelve famous heroes in the old tales. It is associated with the twelve signs of the zodiac. Yamamoto-Kansuke was a strategist of Daimyo (warring lord) Takeda Shingen of Kai Province (now Yamanashi Prefecture) in Sengoku period (1467−1568). It is believed that he died during the Battle of Kawanakajima in 1561.
In this ukiyo-e, his sign is "Ushi" (Ox) because of his birthplace is "Ushi-kubo" of Mikawa (Aichi Prefecture).
Kuniyoshi, a pupil of Utagawa Toyokuni, is famous for Musha-e (pictures of the warrior, like "the Suikoden (the Water Margin) series") and caricature.

参考文献 References

富士山関連 Mt.Fuji

  1. 富士山世界文化遺産登録推進静岡・山梨両県合同会議、富士山を世界遺産にする国民会議『富士山 : 信仰と芸術の源 = Mt.Fuji : the wellspring of our faith and arts』東京:小学館、2009.

  2. 本名信行、ベイツ・ホッファ『日本文化を英語で説明する辞典 = An English dictionary of Japanese culture』東京:有斐閣、1986.

  3. Bowring, R.; Kornicki, P. ed. The Cambridge Encyclopedia of Japan. New York, Cambridge unibersity press, 1993.

浮世絵 Ukiyoe

  1. 日野原健司『ようこそ浮世絵の世界へ:英訳付 = An introduction to ukiyo-e : in English and Japanese』東京:東京美術、2015.

  2. 国立劇場調査養成部資料課『国立劇場所蔵芝居版画等図録』東京:国立劇場、1979-.

  3. 人間文化研究機構国文学研究資料館『図説「見立」と「やつし」:日本文化の表現技法』東京:八木書店、2008.

  4. 「早稲田大学演劇情報総合データベース」<外部リンク>(閲覧日:2019年3月5日)

  5. 「Boston Museum of Fine Arts」<外部リンク>(閲覧日:2019年3月5日)

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